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執筆者の写真Miray Rere

ついに日本へ: 国際生の到着

著:Eleonora Adara

編集:Abid Aziz


日本は新型コロナウイルスのパンデミックの間、ほとんど全体を通して学生や労働者を含む外国人の入国を拒否してきた。「2020年から2年間、ずっと待っていました。キャンパスには一度も行ったことがありません。」とベトナムから来た5セメスターの学生、Huynh Ky Duyenさんは言います。しかし今、長い待ち時間がようやく終わりました。3月1日から、ようやく新規に入国する留学生や労働者の入国が許可されたのです。これは、日本中の機関や企業が国境規制の緩和を推進するために多くの努力をした結果であることは間違いないでしょう。


APUは「所属する様々な団体への働きかけを積極的に行ってきた。」と言います。大学が所属する各種団体や、大学として、場合によっては学長の出口治明が自ら動いて入管庁、文部科学省など関係省庁や公務員に対し、入国制限の解除や日本への入国規制の緩和を求める請願を行ったケースもありました。


出口学長は、政府関係の有識者会議メンバーになっており、「教育再生実行会議」(菅総理(当時)により招集)の有識者メンバーとして、コロナ禍でのAPUの取り組み状況や、別府市や大分県とも密に連携をした、官・民・学をあげてのコロナ禍における学生支援等、報告・陳情も行ってきています。インドネシア出身の4セメスター生、Hania Humaira Buntaraさんは「APUは日本政府や官僚とのコネクションやコミュニケーション能力をうまく活用していると思います。」とコメントしました。


そのため、国境開放のニュースが流れたとき、APUは迅速に行動することができました。「今回はスピードを重視し、すぐに受け入れ準備をすすめました。」とAPUのスチューデント・オフィスとアドミッション・オフィスは述べています。2021年11月、日本は一時的に国境を開放しましたが、オミクロンの拡散を懸念してすぐに閉鎖されました。そこで今回、日本への入国フローの一部の政策変更により、APUは「これまで準備していた内容を大幅に調整する必要がありました。」と言います。


日本への入国を熱望する学生たちも待機しています。彼らは、さまざまなオンラインプラットフォームやグループから、このニュースをいち早く知らされました。「私は、学生や労働者などのための『日本への入国を求めて』というFacebookのグループに参加しました。」とBuntaraさんは語りました。「どうやって本当に日本に入国できるのか、ぜひ知りたいです。」と彼女は続けます。それは他の学生も同じように考えていました。例えば、中国出身の4セメスター生であるTian Tianさんは日本で学ぶ中国人留学生を支援するための公式ソーシャルメディアのいくつかをフォローしました。国境開放のニュースが急速に広まるにつれ、日本に入国したいという興奮が再び高まり始めていました。


学生たちは、すぐに書類作成に取り掛かりました。インド出身の2セメスター生、Rohini Basundさんは「これらの書類をシステムに入れなければならないという情報を得るやいなや、その日のうちに実行しました。」と話します。ほとんどの学生が2021年11月にAMARYS(APUのオンライン入国管理システム)にデータを挿入済みだったため、大学は全員がビザ申請を開始できるよう、入学者、帰国者フォローアップシステム(ERFS)に迅速に登録することができました。


すべてが急ピッチで進められる中、日本への入国準備は決して簡単なものではありませんでした。「学生がキャンパスに戻ってくることができるようになった喜びは大きかったです。しかし、1000人以上の国際学生をいかに安全かつ確実に入国できるようサポートできるのか、また、この機会に一人でも多くの学生が入国できるよう考えなければなりませんでした。」とAPUオフィスは説明します。


確かに、ワクワクする気持ちと不安な気持ちが入り混じっていました。「たくさんの書類を集め、それを整理しなければなりません。それが大変な部分でした。」とBasundeさんは言います。途中、新型コロナウイルス感染症の政策とロックダウンの持続的な変動、またはあちこちで人的ミスが発生するなど、いくつかの困難がありました。「日本が国境を開いたばかりの頃、大勢の人が一斉にビザを申請していたんです。ただ緊張していました。」とTianさんは語りました。


こうした課題は、学生たちが日本に到着してからも続きました。留学生の出国のコーディネーターでもあったBuntaraさんは「ジェットコースターに乗っているような感じでした。」と説明しました。しかし、新しくAPUに入学した学生の大半は、そのすべてを乗り越えることができたようです。「結局、私は無事にここにいます。」とDuyenさんは言います。


APUとJTB(日本交通公社)の効果的な連携により、留学生の来日は全体的に順調に進み、学生たちが持っていた問題や問い合わせには全て対応できました。 これはまた、日本における入国前、入国後の手続きについて、学生が知るべき情報やガイドラインを積極的に提供して頂いたおかげでもあります。 到着してからも、学生たちはとても歓迎されたと話しています。「APUとJTBのおかげで、母国から日本まで何の心配もなく旅することができました。」とTianさんは説明しました。


3月下旬から4月上旬に来日した学生たちは、2週間から3週間が経過した今、すべてを吸収し、定着させようと懸命に努力しています。Tianさんは「今やっと別府に来たことが嘘みたいです。」と信じられない様子で言います。同じくDuyenさんも「すべてのことにただただ慣れてきました。」と言いました。今では、キャンパスでの授業も始まりました。「今日はキャンパスで、たくさんの学生を見かけました。これから、だんだん慣れてくると思います。」とBasundeさんは自分に言い聞かせるように言いました。彼らに残された課題は、別府の学生生活に適応し、そして卒業までの残りの時間を最大限に活用することです。

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