トラン・トゥー・フエン・ヴァン著
教育は教科書上だけではありません
なぜ課題の追加点のためにクラスに早めに行ったり、宿題を早めにだしたり、積極的に授業のアクティビティに参加したりするんだろう?って思ったことありませんか?もし上記の感情に一度でもなったことがあるなら、「潜在的カリキュラム」という社会的影響に振り回されているといえるでしょう。
数学、経済学、歴史、言語などの通常のカリキュラムに組み込まれているものとは別に、「潜在的カリキュラム」には教育機関を通して価値観や習慣、授業態度、物事の概念の教育が含まれます。時々生徒たちは、潜在的カリキュラムが意図的にまたは無意識に社会統制を強調させ、文化に対する支配的意識の現状を続かせているのではないかと疑念を抱くかもしれません。
Aをとる生徒になにか秘訣があるのか
なぜ特定の生徒がほかの生徒よりもいい成績をとることができるのか、というテーマは社会学者にとっては答えを出すにあたって挑戦的なものでした。学者たちはまず生徒の社会的背景と個人の心理、そしてその生徒の達成度(学問選択後の学校での成績)に目をつけた結果、以下のような結論に行きつきました。
生徒をコントロールする力がある「潜在的カリキュラム」は学校での社会システムにかかせないものであること
学校の価値と関連、そして異なる多様なサブカルチャーがあること
階層的機構への偏見や社会的交流による分離
親や先生からの生徒に対しての高すぎる理想と現実の非対称の分布
したがって、生徒の成長は生徒の知能や潜在能力だけでなく、学校内の複雑な社会的プロセスの結果として現れます。大学入学前の教育は全ての学生が平等に受けられるわけではありません。なぜなら、経済的に恵まれ、専門職に就いている家庭の学生がそうでない家庭の学生を上回る傾向があるからです。
「学業成績には、家庭環境や個人の精神状態が大きく影響します。家庭環境は、人間の成長過程において本質でありと社会的要素です。家庭は誰にとっても最初の教育の拠点です。子供が良い教育を受けられるか、特定の科目に適性があるかどうかは、家庭の経済状況、精神的成熟度、また、芸術やスポーツなど特定の科目に対する能力によって決まります。個人の性格も生徒の成績に多少影響を与えます。例えば、頑固な人は自分の考えが保守的すぎて、新しい視点を受け入れられないかもしれません」。
-レ・ティ・ヴァン・アイン(APS、3年生)の場合
つまり高いレベルの知性を維持することは自尊心の低下、同僚圧力、社会的逃避など、能力の低い学生にとっては不利な心理的反応を呼び起こす可能性があります。この現象は、文化的発展が教育システムの機能を、階層支配文化を再生産し優位性を継続的に強化することに尽力していることを表しています。
あなたは先生のペットになったことがありますか?
教育学とは、教えることの芸術です。さまざまな教育哲学が、学習、教授法、カリキュラム、子どもの知的地位などについて、さまざまな実践や仮定を進めてきました。象徴的相互作用の研究において研究者は、自己と社会の関係は社会的行為者間のコミュニケーションの過程であるとして強調しています。もし教師が、時間通りに課題を提出すること、頻繁に講義に出席すること、クラスのディスカッションに貢献すること、熱心に耳を傾けること、質問をすることが、良い成績と追加の単位を保証すると主張するならば学生は規則を守り自分の行動を見直す傾向にあります。達成動機は、生徒が教師の出した条件に従うことを詳しく説明する典型的な例の一つです。この動機は、設定された高い水準やライバルとの比較において、その水準やライバルに到達するための生徒の努力や粘り強さ、そしてその水準やライバルと関わる願望のレベルを大きく左右します。
私たちの世界は高度に法律化されルールで取り巻かれている
APUで制定されている形式的な規則は、必然的に学生に様々な意図的・非意図的なメッセージを伝えています。例えば、日本語を母国語とする学生は、英語の授業で一定の単位を取得しなければならないというポリシーは、国内の学生が卒業時に両言語取得することを可能にしています。英語基準の学生についてもこの原則は選択肢として有効であり、留学生は日本語の授業を受けるかどうかを選択することができます。英語基準の学生の多くは、言葉の壁に直面し日本語能力に自信が持てないため、日本語基準の学生に比べて権威のない学位を取得せざるを得ません。
「両言語で授業を受けることができるという保証の意味に疑問があります。合格するために簡単な授業を受けようとする日本人学生が多い中で、本当に日本語と英語ができるということになるのだろうか。このように、2言語学習制度には抜け穴があるようです。」
-APS3年生 キム・イェジンソフィアさん
「企業がグローバルにビジネスを展開していく中で、他国の人と同じように世界共通語でコミュニケーションをとることが必要とされています。英語基準の学生はすでに語彙を持っており他の人とコミュニケーションを取ることができるので、英語基準の学生は幅広い選択肢を持っています。しかし、日本の学生は経験的な言語運用能力が不足しているので、彼らの将来のためにも、また、留学や海外の大学院への進学、さらにはグローバルに活躍する機会を広げるためにも、英語で授業を教えることは良いことだと思います。"
-佐藤浩平さん(APM、1期生
潜在的カリキュラムは、APUの履修登録システムにも存在します。規則によれば、学生のGPAによって履修登録時間が決定されます。優先順位1位の学生たちは授業スケジュールを組むのに苦労しませんが、優先順位2位や3位の学生たちは成績を上げるために負担の少ない簡単な授業を受けることになります。この制度に満足しているように見える学生たちは、「学校での成績に責任を持つのは個人であり、履修登録制度は個人の能力を比較的公平に反映するものである」と主張しています。
しかし、自分の内的な能力だけに注目するのではなく学生の成果に影響を与える他の外的要因を注意深く検討することが重要です。例えば、学校や課外活動の負担で精神的に参ってしまう学生や、文化資本(支配的な文化に切り込む個人的な成功)が不足している学生、慣れない環境に適応するため苦しい時間を過ごしている学生などです。外在的な原因を考えることで、APUの学力階層構造に起因する不平等性に別の角度からアプローチすることができます。制度を変えることが学生にはできないのであれば、時間管理や授業への参加、支援の求め方などを適切に調整し、自らの学業成績を向上させる努力をすることが唯一の解決手段となるでしょう。
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学生は、気づかぬうちに教室での行動を操作する隠れたカリキュラムの影響下にあることは間違いありません。教室で得る知識は、学生の能力を評価するためにステレオタイプの基準を形成し、要件を満たすことができない人は自身の自己肯定感が下がり負のループに陥る傾向があります。慣習的な教育法が達成意欲を高め、「優等生」の定義を強化することで生徒に影響を与え、指示に従わない生徒は落ちこぼれた劣等生としてのレッテルを貼られます。教育的慣習が、個人の成績や学位の名声に基づいた階層的なシステムを形成し支配的な文化の普及を促進します。このような必然的な状況下に置かれた時、一部の人々は自分の運命を受け入れるか、期待される責任を果たすために行動を改善するか、あるいは抑圧的な構造を変えるために力を合わせるかを選択するでしょう。私たちを根付いた重圧から解放させることは実現不可能に思え、理想郷のようなものかもしれません。
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